別に僕は何でもな医師。

中堅内科医の独り言

人はどのように死を迎えるのか。

ご高齢の方とどのように最期を迎えたいか、とお話する機会がある。

多くの人は苦しまずに、ぽっくり逝きたいと仰る。

 

しかし現代の医療や世の中の流れ的に、なかなかぽっくり逝けないのが現実だ。

高齢者が同居している家庭内でも、いわゆるDNAR (心肺蘇生を行わない)についてちゃんと話しているところは多くない。

 

いざ、自分の祖父母、父母の容体が急に悪くなって救急車を呼ぶ。

そこで初めて医者に聞かれる、「心臓マッサージ、人工呼吸器はどうしますか」と。

いきなり直面する身近な人間の死の在り方について即決できる人間はそれほどいない。一度他の家族とも相談してきます、といって後日にお返事をいただくが、そんな猶予がない時点では心臓マッサージ、人工呼吸器といった処置を行い命を繋ぎとめる選択を取る。その後、脳死になってしまうケースや人工呼吸器を外せずに気管切開を行わなければならないケースも経験する。

 

患者自身が望まない結果になることも多々あるだろう。機械に繋がれてでも生きていたいと考える人よりも、楽に苦しまずに死にたいと思うのが一般的だと思う。

もちろん正解のない問題であり、ご家族によっては「どんな形であっても生きていて欲しい」と強く願う人もいる。

 

日本には寝たきりになり、療養型病院で最期を迎える方が多い。

胃ろうと言われる管から栄養剤を投与されたり、中心静脈栄養と呼ばれる首からカテーテルを入れて栄養剤を投与して生きていく。

その中で感染症などで具合が悪くなりお亡くなりになる。療養型病院は基本的にDNARを宣言している人でなければ入院できない。病院によっては誓約書を書かせるところもある。

 

寝たきりの方が多数いることで医療費が圧迫されているのも現実だ。透析は年間500万かかると言われているが、寝たきりだけど透析しなければ亡くなってしまうという方もいる。

 

こういった背景を受けて近年、厚生労働省からも人生会議が提唱されている。

「人生会議」してみませんか|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 

家で最期を迎えたいという人もいるが、寝たきりに近い患者を家で看取るのも非常に大変だ。家庭内の介護力に加えて、往診医や訪問看護の導入など様々な準備が必要だ。

話題にしにくい内容だが、「どのように死を迎えたいか」

ご家族内で話し合ってみましょう。